北朝鮮(NORTH KOREA)
エピソード1 ツアーメンバー
エピソード2 平壌への道
エピソード3 現地ガイド
エピソード4 平壌の風景1
エピソード5 平壌の風景2
エピソード6 平壌の風景3
エピソード7 祝賀行事
エピソード8 板門店にて1
エピソード9 板門店にて2
エピソード10 女スパイ
エピソード11 食事&土産
エピソード12 北朝鮮の今後
エピソード番外 書籍
エピソード1 ツアーメンバー 先頭
北朝鮮自体には元々興味を持っており、いつかは行ってみたい国という存在であった。日本と国交はないものの専門の旅行会社があって、そこを通せば北朝鮮を旅行できることは知っており、以前からネットでちょくちょく調べたりはしていたのだが、いかんせん値段が高い!それがずっとネックになっていたのだが、そんな中、今回の「金正日党書記生誕祝賀行事にわく市民生活にふれて!」という3泊4日のツアーの存在を知ったのである。他のものと比べて5万円くらい安い値段に引かれて、深く考えることなく衝動的に申し込んでしまった。
しかし、冷静になって考えると不安材料・懸念事項は山ほどあった。出発直前に日本で行わるサッカーW杯最終予選の日本vs北朝鮮でサポーター同士の乱闘が起きやしないか、この時期の平壌は氷点下らしいが寒さは決して得意じゃないだけに大丈夫か、拉致問題に伴う経済制裁発動で両国の関係が急速に悪化しないか、やっぱりこの国に外貨を落とすのは気が引けるわいとか、ツアー形式だけに参加する他のメンバーとうまくやれるだろうか、等々である。特にツアー参加メンバーとは4日間に渡って行動を共にするだけに、どんな面子なのかは非常に気になるところであった。
今回のツアーは定員20名で募集されていた。当初は順調に申し込みがあり一時は十数名まで達したらしいが、丁度横田めぐみさんの遺骨捏造が騒がれた時期と重なったのが響いたかキャンセルが相次ぎ、結局参加者6名+添乗員1名、計7名でのツアーとなった。最初はお互い探り合い状態だったものの飛行機の中などで会話するうちに少しずつ打ち解け、初日の夜にはすっかり意気投合。最初は「北朝鮮は何回目なんですか?」「今回北朝鮮に来ることを誰かに言いました?」といった辺りから会話がスタートするのだが、6名中5名は初北朝鮮であった。また、親に止められたのを振り切ってきたり、家族や会社に内緒にしてきたり、中国や韓国に行くと嘘をついてきたりと、いやはや皆少なからず後ろめたさを背負ってきているものなのだなと感心?した。かくいう自分も似たようなものだが。。。まあそういったワケで、脛に傷持つ者同士ということで連帯感が生まれたみたいである。6名という人数も程よい感じだったように思し、北朝鮮を馬鹿にすることだけを目的に来る人も決して少なくないそうで、今回そういった人がいなかったのも運が良かったといえよう。メンバーはザッとこんな感じ。
★Pさん:添乗員(在日朝鮮人)。よく冗談を飛ばす一方、あまり答えたくないような際どい質問にも隠さず正直に答えてくれて非常にいい方だった。
★Mさん:95年のアリラン祭をキッカケに北朝鮮にハマリ、渡航回数はナント数十回というマニア。観光名所の至るところで「あら、Mさん!」と声を掛けられる剛の者であった。
★Oさん:海外は27ヶ国目とのこと。今年夏から秋に掛けて行われることが有力な10万人規模のマスゲームに興味津々で北朝鮮にハマリそうな雰囲気を醸し出していた。
★Suさん:嫁さんには韓国へ行くと嘘をついてツアーに参加、毎晩ソウルからと偽って電話を掛けていた。しかもソウル土産を予め用意するなど涙ぐましい工作活動してました。
★Saさん:相槌を打つ時に「そぉそぉそぉそぉそぉ!」とやたらと「そぉ」を連呼するのが特徴。
★Iさん:2時間ドラマとかに出てきそうな雰囲気。誰かに似てるんだけど浮かばなかった。
ツアー形式の旅は初めてだったが、こういうのも面白いものなのだなと少しだけ見直した。これがフランスやイタリアのツアーだとガラッと印象も変わるんだろうが。。。

*ツアーメンバー(右端はガイドの洪さん)。目線を入れましたが、メチャ怪しくなってしまいました。日本赤軍ご一行様に見えなくもない?
エピソード2 平壌への道 先頭
日本から北朝鮮に行くのに基本的に直行便はない。以前は名古屋からチャーター便が時折出ていたらしいが、今は余程のことがない限り飛ばないそうな。やはり拉致問題の影響が大きいのであろう。00年には1600人(外務省発表)いた北朝鮮への渡航者も減る一方で、昨年は先方のガイド曰くたったの150人だったらしい。今年はサッカーがあるからチャーター便も飛ぶだろうし、渡航者も盛り返すとは思われるが果たしてどうなることやらである。
ノーマルなフライトは2パターンある。一つは成田→北京→平壌だが、この場合北京で一泊が必要。今回我々が利用したのは、羽田−(ANA)→関空−(ANA)→大連−(ANA)→瀋陽−(高麗)→平壌というコースで、瀋陽の空港においてビザを取得することになる。ちなみに瀋陽という街は、かつて日本領事館へ脱北者の駆け込み事件があったところとして有名。まあ、それはさておき地図を見れば一目瞭然だが、相当な遠回り。結局羽田から平壌まで約9時間掛かったが、成田からソウルまで直行便で約2時間ということを考えれば、近くて遠い国というのを身をもって実感してしまう出来事であった。
それにしても当日着とはいえ、一日で4回も離着陸を体験するのは結構ハードで、勿論生まれて初めての経験。しかし、行きに関しては実は5回だったのだ。大連でのこと。着陸態勢に入り街の風景が窓の外に見えてきて、大連は雪景色かいな〜と思ってボーっと眺めていると、突然ガンッ!という衝撃、え?何?と思う間もなく機体は上昇。どうやら着陸が遅れたために、そのまま行けばあわやオーバーランという状況だったらしい。勘弁してくれぃ!再チャレンジで無事に着陸出来たがその時客席からは一斉に拍手が。。。
大連の空港では、トランジットということで瀋陽までも同じ飛行機を利用するのだが、大連までの客だけでなく全員が一旦飛行機から降ろされた。瀋陽までの客はそのまま機内で待ってればいいじゃないかと思うのだが、金賢姫が起こした大韓航空機爆破事件がキッカケで乗客は全員下ろすようなシステムになったらしい。確かに爆弾だけ残して降りられては堪ったものではないが、こんなところにも北朝鮮の影響が及んでいようとは思わなかった。
最後のフライトでは、平壌国際空港に着陸しブレーキが掛かった際、ロシアから払い下げられたと思われる高麗航空の空席の座席が一斉にパタパタと前に倒れたのにも驚いたが、あまりに殺風景な雰囲気にこれが首都平壌の空港なのか?と驚かされた。そうこうするうちに飛行機が進み、空港ビルに掲げられた金日成の肖像画が目に入った瞬間、ついに引き返せないところまで来てしまったという思いが去来した。

*非常に殺風景な平壌国際空港、ビルの中央にあるのが金日成の肖像画ですね。
エピソード3 現地ガイド 先頭
平壌国際空港の構内は照明が所々消えていることもあって薄暗かった。イミグレーションはあっさり通過するも、噂通りパスポートにスタンプは押してくれなかった。残念。その後荷物のチェックがあり、ツアー客の一人がインターネットからプリントアウトした北朝鮮情報を没収されたらしい。あと、自分は持ってこなかったが、帰国時まで携帯電話は空港で保管させられる。更にパスポートと帰りの航空チケットも到着した夜ホテルで没収された。万が一パスポートを紛失した場合、日本大使館がないため再発行が出来ないので安全を期すということなのだが、預けている間に偽造に使われているに違いないという噂も絶えない。ま、真相は藪の中である。
荷物チェックが終わり外に出ると現地ガイドが我々を待っていた。朝鮮国際旅行社の日本語ガイドが3名。これに運転手と翌日から頼みもしないのにビデオスタッフが付いて総勢5名。話によると一人で旅行したとしてもガイド2名と運転手の計3名が付くらしいが、こんな状態でサッカーのサポーター5000人の面倒をどうやって見るのであろうか?朝鮮国際旅行社の日本担当は全部で30名らしいのだが。。。
北朝鮮滞在中はホテル内を除いて、現地ガイドと常に行動を共にしなければならない。世界一不自由な国と言われる所以である。夜ホテルをこっそり抜け出して市内を徘徊する輩も時々いるらしいが、通報制度システムは健在らしくよそ者がウロウロしていると通報されてしまうこともあるそうな。ウロチョロされない対策なのであろう、日中は朝から晩までスケジュールをビッシリ組んで連れ回し、宿泊先も徒歩で行動するには不便な羊角島ホテルという中洲の先っちょに建てられたホテルであった。ちなみにこのホテルは47階建てで、地下にカラオケ、マッサージ、カジノ、ビリヤード、ボウリングといった施設があり、最上階は回転式の展望レストランになっている高級ホテルの一つであるが、一番驚いたのは部屋でNHK(BS?)が見れたことである。
話を入国時に戻す。ガイドは、ちょっと馬面の入った課長の李さん、主担当の洪さん、それと新人の研修生ということで計3名いたのだが、李課長が我々と対面するやいなやニヤリと笑い開口一番かましてくれた。
「ココハ恐イ国デスカラ、緊張シテ下サイ。」
この強烈なブラックジョークと共に、我々一行は北朝鮮に足を踏み入れたのであった。

*写真中央にそびえるのが宿泊した羊角島ホテル。47階建てで我々が宿泊したのは29階でした。(主体思想塔で撮影)
エピソード4 平壌の風景1 先頭
移動用の車はトヨタ製であった。車種はよく分からないが、これに乗り込んで平壌市内を観光した。外に映る景色は全てが珍しく色んなところに視線が釘付けになってしまう。金正日総書記の誕生日ということもあって、街の至るところに誕生日を祝う看板が掲げてあるが、それを除けば圧倒的に色というものが少なく実にモノトーンな街並という印象。噂通り車の数も少なくて寂しい道路状況ではあるのだが、そんな中でひときわ目を引くのが交通整理の女性警察官である。プルシアンブルーの制服は色の無い街にあって非常に色鮮やかで目立っており、これがまた美人揃いなのである。四方を睨みキビキビと回れ右や、右向け右、左向け左を繰り返し、指示棒を小気味よく振るって交通整理をするサマは非常に格好いい。女性の憧れの職業No1らしいが、これは頷けるというものである。ま、前述の通り車は数える程しか走っていないのだが。。。ちなみに男の警察官もたまに見かけたのだが、こちらは対照的に実にダラダラとした動きであった。
北朝鮮において企業の看板というものは皆無であり、その代わり圧倒的に目に付くのがスローガンというものである。犬も歩けば棒に当たるが、この国ではスローガンにぶち当たる。ハングルは全く読めないのでガイドの方に「あれは何て書いてあるんですか?」と都度聞いてみたが「偉大なる領導者金正日総書記を命がけで守る!」「朝鮮民主主義人民共和国万歳!」「栄えある朝鮮労働党万歳!」「偉大なる金正日総書記に最大の祝福を!」「アメリカ人が侵入してくるなら地球上から追い出してやる!」等々で、最後は殆ど「!」で終わるのが特徴的。アレが自由に読めたらさぞかし楽しいだろうなあ〜。ちょっくらハングルでも勉強してみるかという気になった。
住宅については高層マンション的なものが結構建ち並んでいた。ただ、深刻なエネルギー不足が噂されるだけに、そうなると気になるのがエレベーター事情である。日本のように4階以上の場合のエレベーター設置義務があるワケではないようで、エレベーターが無いとか、あっても動かないとか、動く時間が決められているとか、10階以上の人しか使用してはいけないルールがあるとか、まあそういった感じらしい。あと、やはり照明はもう一つ暗い。夜、宿泊ホテルの展望レストランから眺めてみたが、百万ドルには程遠い、数ウォンの夜景が広がっていた。

*平壌駅ですが、このようなスローガンが街の至るところで見られます。ちなみに、向かって左が北朝鮮国旗で、右が朝鮮労働党党旗デス。
エピソード5 平壌の風景2 先頭
市民の足となる公共交通機関で代表的なものは地下鉄とトロリーバスである。平壌に地下鉄なんてあるの?と思いきや、ソ連の技術協力を得て1973年には既に開通していたそうな。自慢なのかどうか定かではないが、地下鉄試乗は大抵の観光に組み入れられており、多分に漏れず我々も体験すべく復興駅というところに向かった。平壌の地下鉄は千里馬線と革新線の2路線があり、これが十字のようにクロスしており、約5分間隔(出勤時などは約3分間隔)で走っているらしい。駅名は、復興、勝利、統一、建国、戦勝などで地名ではないのが独特である。まずは、ニューヨークの地下鉄トークンのように専用コインを買い、これを自動改札に通して中に入る。そこからエスカレーターで下るのだが、これが大江戸線も真っ青の深さで、防空壕に使用するとか核シェルターになっているという専らの噂である。続いて意味不明なシャンデリアが飾ってあるプラットホームが登場。しかし、やはり薄暗いという感は否めない。ただ、ホームの一番奥は明るくライトアップされており、そこに金日成の絵が飾ってあった。そうこうする内に、車両が到着。4両編成でかなり年季が入っている。座席もクッションなどというものは当然ないのだが、ちゃんと金日成・正日親子の写真が飾ってあったのはサスガである。ここ復興駅は始発駅ということで車内をキョロキョロ見渡しながら出発を待っていると、ツアー客の一人が、お前のほうが絶対年上だろう!という年配で笑顔のおじさんに強引に席を譲られていて非常に笑えた。親切な平壌市民を演出すべく、こういうのも党の指導があったりするんだろうか?などといらぬ勘繰りをしてしまった。この国にいると何でもかんでも穿った見方・考え方をしてしまうのである。暫くすると何の前触れもなく扉が閉まり出発。乗り心地は悪くなかった。観光客が乗れる区間は予め決まっており、復興駅から栄光駅までの1区間。栄光駅のホームに降りると我々を待ち構えていたように観光客相手の物売りが現れ、買う気もなかったのについつい地下鉄パンフレットを買ってしまった。
モランボン第一中学校というところを見学した。ここも観光モデルコースらしく他のツアーの人達(西欧人?)と合流してから一緒に回った。校舎の入口にスローガンが掲げてあったのでガイドさんに聞くと「金正日総書記の良き息子・娘になりましょう!」とのこと。校舎の中に入ると早速金日成・正日親子の笑顔の絵画がドーンとお出迎え、更に全教室にも親子の写真が飾ってあった。この国の教育事情は授業は午前中だけで、午後は課外活動という日本以上のゆとり教育を実施している。我々が見学したのは夕方だったため、生徒は殆どいなくて観光用?に一部残っているだけであった。裁縫部?、パソコン室(ちなみにOSはXPやMEであった)などを回ったが、印象に残ったのが北朝鮮の男の子と女の子が槍のようなモノを持って、アメリカ兵と日本兵を串刺しにしているというデッカイ絵。思わず「強烈だなあ〜!」と何度も口走ってしまった。反米・反日教育が施されているという話は聞いていたが、ここまでストレートなものにお目にかかれるとは思ってもみなかったので、ある意味感動した。最後はミニシアターみたいなところに案内されると、待ち構えていた生徒達による演奏が始まった。その後、歌い手達も出てきて、色んな歌を披露し、ラストは観光客を前に呼び入れて全員で手を繋いで踊ってお開きとなった。ただ歌の内容はあまり覚えていない。ベースの女の子が可愛くて、その子ばかり見ていたもんで。。。

*モランボン第一中学校の廊下に飾ってあった強烈な絵。アメリカ、日本ともう一つは?
ちなみにハングルの意味は「アメリカを追い出して祖国を統一しよう!」
エピソード6 平壌の風景3 先頭
平壌でスローガンと並んで特徴的なのは巨大建造物の数々である。金正日はこれらを世界遺産に申請したそうだが、あっさり却下されたんだとか。。。
凱旋門は金日成主席の祖国凱旋を記念して建立し、生誕70周年の1982年4月に除幕。その名の通りフランスの凱旋門を模して造っており、高さは60m。本家より10m高いのが自慢なんだとか。うん、確かにデカイ。しかし、その下を通る車が殆どいないのが何とも寂しい。チュチェ思想塔は当初観光予定に入ってなかったのだが、ツアーメンバーの希望により最終日に立ち寄った。チュチェ思想創始者である金日成主席を讃えて建立、凱旋門と同じく1982年4月に除幕されたらしい。エレベーターで高さ150mの展望台に上っての眺めはなかなか素晴らしいものがあった。その眺めの中でも一番目立っていたのはピラミッドのような外観の柳京ホテル。高さ300mで105階建て、本来なら世界最大のホテルになっているハズが費用が足らなくなったために途中で放置され、今やただの廃墟。ズサンな設計や粗悪なコンクリートも相まって、傾きつつあるという噂も。。。
建造物の中でも代表的なものと言えば金日成像で高さ約22m。毎晩足場を組んで人民軍兵士が磨いているらしいが本当か?当初は金色だったそうだが、中国のケ小平が訪朝した際に「度が過ぎる」と苦言を呈したため、赤銅色に塗り替えられたという経緯があるらしい。ここを訪問した際にはガイドが緊張した面持ちで「ここは普通の観光地ではないのでキチッとした格好をして下さい。他の方が不愉快に思うようなことをしないで下さい。」と釘を刺してきた。ここで献花をした後、全員一列に並んで一礼させられたが、自分は思わず舌を出した。その後写真撮影となったが、右手を大きく掲げた金日成と同じポーズで記念写真を撮る日本人が後を絶たず(テリー伊藤もやっていた)ガイドとよく揉めるらしい。自分は遠慮して金日成のほっぺにチューする写真に留めておいた。イラクのフセイン像のように引き倒される日が果たしてやって来るのであろうか?そんなことを思いながら、ここを後にした。
出発前に北朝鮮関連の本を色々読んで、この国は社会主義国家や共産主義国家ではなくて新興宗教国家なのではないかという印象を抱いていたのだが、実際北朝鮮に来てみてその思いは一層強くなった。中でも特にこの平壌という街である。北朝鮮の国民は3階層、更に51の成分というものに身分が細かく区分されている。内容は以下の通り、
★核心階層(トマト階層:皮も中身も赤い):12成分(労働党員、労働者、英雄軍人、貧農
等)、国民の30%
★動揺階層(リンゴ階層:皮は赤いが中身は赤くない):18成分(小・中商人、中農
等)、国民の40%
★敵対階層(ブドウ階層:皮も中身も赤くない):21成分(政治犯、地主、親日・親米主義者、富農
等)、国民の30%
そして、平壌に住んでいるのは殆どが金正日に忠誠を尽くす核心階層だという話である。分かりやすく日本で例えていうなら、公○党が単独政権を握り、○○学会員以外は全員地方へ追いやられ、東京の街の至るところに○田の肖像画が掲げてあり、目抜き通りにはベネズエラの国旗みたいな旗が等間隔に飾ってある、という図を想像すればいいだろう。まあ実際、公○党が政権を取っても、そんな事にはなりっこないし、しようと思っても出来ないワケだが、平壌はそれをやってのけた凄い街なのである。
*○○学会の人、スミマセンね。あくまでも例として出しただけで他意はありませんので。。。(多分)

*金日成像、手前にいる人達と比べるとその大きさが分かります。
エピソード7 祝賀行事 先頭
北朝鮮に到着した2/16は金正日総書記の63回目の誕生日。様々な祝賀行事が行われており、2日目の午後にその幾つかを見学した。
まずは、金正日花展示会を訪れた。まず会場に到着すると延々と続く行列が目に飛び込んで来てビックリ。VIP待遇?の我々は、行列の平壌市民を尻目に横入りさせてもらい会場内に入った。と中は、様々な団体が栽培した金正日花で溢れかえっており実に壮観であった。金正日花というのは日本人の園芸家が開発したベコニアを品種改良した新種で、繁殖力があり虫害に強く育てやすい、情熱的で真っ赤な美しい花である。はっきり言って金正日のイメージとは正反対。当の本人も「俺のイメージとあまりにも掛け離れてるんじゃないの?恥ずかしいというか、照れるよなあ〜。」と側近の人に語ったかどうかは知らないが、心の中ではそう思ったに違いないと自分は睨んでいる。
続いてサーカスへ。北朝鮮には平壌サーカスと人民軍サーカスの2つがあり、我々は前者のほうを観賞したのだが、後者のほうが内容的に共和国マンセー度が高いらしく、個人的にはそちらのほうを見たかった。内容は空中ブランコ、手品、動物芸といったモノで、その合間合間に客いじり的なお笑い系を挟んでいた。メインの空中ブランコは2回も失敗、しかもその内の1回は最後にやる大技だっただけに何ともしらけたものになってしまった。ガイドも我々の落胆ぶりを気にしたのか「この時期は寒いので本来サーカスはあまりやらないんです。」と苦しい言い訳をしておりました。
最後に、水中バレー(シンクロナイズドスイミング)を観賞。これについては少し興味があった。出発の数週間前に見たTV番組で脱北したスポーツ選手の座談会があり、そこにシンクロの選手がいたのだが、その彼女曰く「北朝鮮のシンクロは日本や韓国と比べてもレベルが低いため、大会には出してもらえない。お呼びが掛かるのは祝賀行事だけで、これでは喜び組と変わらない。金正日の為に冷たいプールに入らなければいけないなんて・・・」と不満を述べていた。本番は温水らしいが、練習の時は真水らしい。1月の平壌は一年で一番寒さが厳しく−10℃以下になることも多いという。それにしてもよりによって2月生まれとは、どこまでも罪な男である。。。さて内容だが、あまりシンクロは見たことがないもののやはりレベル的にはそれ程高いとは思えなかった。しかし、最後に大人数でやった演技だけは別。さすが全体主義の本場とでも言おうか、集団になるとここの人達は凄い。一糸乱れぬ動きは、マスゲームの一端を垣間見たような気がした。
無形文化財ともいえる北朝鮮名物のマスゲーム。今年は祖国光復60周年と朝鮮労働党創建60周年を迎えるということで「05年版アリラン」公演が決定したらしい。解放記念日である8/15(日本でいうところの終戦記念日)から朝鮮労働党創建記念日である10/10までの開催が有力。次回となるとさらに10年後になるということで、10万人規模の大マスゲームを見れる最後のチャンス?かも知れない。う〜ん、見てみたいゾ。

*将軍様と金正日花。しかし何と似合わないことか。。。
エピソード8 板門店にて1 先頭
日帰りで板門店に行ってきた。ベトナム、ドイツ、イエメン等が統一を果たす中、現在世界で唯一同一民族での分断を余儀なくされている現場である。平壌から約160km南(ソウルからは約40km北)に位置し、車で約2時間程度。板門店へ向かう道は殆ど真っ直ぐで、さすがは国家主導といったところである。有事の際には、ここを戦車が走ったり、戦闘機の滑走路として使用したりするんだろうかなどと想像を巡らしてしまった。
両国は北緯38度線で分断されており、そこから南北にそれぞれ2km分が非武装地帯となっている。まず北側の非武装地帯の入口で、ガイドとして年配の軍人1名と、護衛として銃を携えた若い兵士2名が我々の車に乗り込み、板門店に足を踏み入れた。そして、暫くして朝鮮戦争の休戦協定を結んだ建物の前で車が止まり、中に入って説明を受ける。ガイドの軍人は「アメリカの挑発で朝鮮戦争が始まった」とか「戦争は我々が大勝利を収め」といったことを滔滔と語った。旧ソ連のグラスノチスによって北側から戦争を仕掛けた事実が白日の下に晒されているのだが、この軍人は知らないのか知らされていないのかそれとも信じていないのか、ちょっと気になった。また、そこにはパネルや軍用品も色々展示されており、何とポプラ事件(76年板門店で警備をしていた米兵が警備の邪魔だとポプラの木を切断しようとしたところ北側の兵士が斧で襲い掛かり米兵2人を殺害、金正日の独断と言われており滅多なことでは謝らない金日成が謝罪したという事件)の斧まで飾ってあった。
そしていよいよJSA(Joint Security Area=共同警備地域)に到着。写真や映像では何度か見たことがあるが、勿論ナマで見たのは初めてで、おー!と声を挙げたくなった。が、漂う緊張感がそれを押さえつけた。お互いのビル(北が板門閣、南が自由の家という名称)が向かい合って対峙し、更に38度線を跨いだ状態で小屋のような建物が並んでいる。北側の兵士は軍服に身を包み直立不動、一方南側は迷彩服でダラッとしていたが、この辺りはお国柄の違いなのであろうか。ちなみに板門店は南北どちらからでも観光で訪れることは可能なのだが、挑発し合ったり、ふざけ合ったりしない為なのであろう、北と南で見学の時間帯をズラしているらしい。今は亡きミリオンセラー歌手の猿岩石が、北と南から38度線を目指し板門店で再会するという「板門店で逢いましょう」なる企画に挑んだそうだが、この規則に阻まれ遭えなく失敗に終わったそうな。

*テレビ、雑誌で毎度お馴染みの板門店。青い小屋の中央から延びているコンクリートの線が38度線。
エピソード9 板門店にて2 先頭
38度線を跨いだ小屋の一つ(軍事停戦委員会本会議場)に案内された。この中であれば軍事境界線を越えることが可能なのだが、部屋の中央に38度線に沿って置かれたテーブルがあり、まずはそこに全員座らされた。すると軍人ガイドのスピーチが始まった。「朝鮮半島は日本のせいで分断された」「日本が朝鮮半島を支配しなければ我々は二つに分かれることはなかった」「今も日本はアメリカの手下となって我々を苦しめている」「何故日本は北朝鮮に関して悪い報道ばかりするのか?」「小泉首相が訪朝し日朝平壌宣言を交わしたが何一つ履行しようとしていない」エトセトラ、エトセトラ。早い話が日本の悪口。あまりに興味深いことを言うので、言ってることを全部メモしたかったがとてもそんな雰囲気ではない。他のメンバーも伏し目がちに話を聞いており、通訳する洪さんもいつになく真剣な表情である。そういえば護衛で付いた2人の若い兵士が、さっきから韓国側へ通じる扉の前にへばり付いているのも実に不気味だ。おいおい、何かヤバくねーか?
「ヨッテ、アナタ達ヲ日本ノ代表ト見做シ、コレカラ処刑シマス」
なんて台詞が出ないことは頭では分かっているものの、ひょっとしてひょっとすると・・・と思わせる緊張感があった。恐らく時間にして3分程度だったと思うが、10分以上に感じる長さであった。
ようやく長い説教?から解放され、小屋の中や境界線付近を撮影。意外なことに写真は全くの自由であった。その後北側の建物である板門閣に入り、見晴らしのいい場所から境界線を眺める。韓国側も非武装地帯があるため殺風景な景色しか見ることが出来なかったが、ここからソウルまではわずか40kmの距離、ソウルは火薬庫の側に居るようなものなのだなあと感慨にふけっていると、そんな中先程の軍人ガイドはツアー客を捕まえ「今の日本と北朝鮮の状況をどう思うんだ?」「拉致はヒドイと思うが、日本はそれ以上の朝鮮民族を苦しめ殺しているではないか」「どうやったら我々は仲良くなれるんだ?」「それはいつだ?」といった感じで議論を吹っかけていた。自分は議論は全くの苦手なので素早く避難。近くで耳を澄まして会話を聞いてたが、最終的には「お互い平和を願ってるんだな」ということでお互い握手をしていた。めでたしめでたし?後で聞いたところによると、議論好きの名物軍人だったそうな。先に言ってくれぃ!ちょっと恐かったゾ!

*我々が説教をされたテーブル、中央に並んでいる小型マイクが丁度38度線になり、手前が北側、向こうが南側になります。
エピソード10 女スパイ 先頭
我々と同じ時期に北朝鮮を旅行で訪れていた女二人組がいた。彼女達の現地ガイドも当然我々と同じ朝鮮国際旅行社の日本担当であり、野郎ばかりでむさ苦しい我々を不憫に思ったのかどうか知らないが、ガイドが引き合わせてくれて初日の夜はホテルの展望レストランで一緒に飲んだ。その後あまり接点はなかったのだが、平壌最後の夜のこと。自分とOさんがホテルのロビーを歩いていると、二人組の片割れがソファに一人で座っていた。そこで声を掛けると、これから朝鮮国際旅行社の部長と1Fの喫茶で話しをするとのこと。
女っつーのは得やのお〜と思った。すっかり打ち解けて気に入られ、ガイドのみならず部長も交えて歓談かい、と。すると彼女達の担当ガイドが現れたので、Oさんが「これから部長の奢りで飲みっすか?」と軽口を叩くと、ガイドの顔が強張ったので変だなあとは思ったが、二人組のもう片割れも姿を見せて喫茶に向かったので、上で飲んでいるんで気が向いたらどーぞと言って別れた。その後展望レストランにてツアーメンバーの4人で飲んでいると、彼女達が姿を見せた。まあ来ないだろうと思っていたので意外に思ったのだが、話を聞くと彼女達は実はとんでもない目に遭っていた。
てっきり楽しく飲んでいるのだろうと思っていたのだが、実際はスパイじゃないかと疑われて尋問されていたというのである。話によると、朝鮮国際旅行社の日本部署に流暢な朝鮮語を話す女性から電話があったというのが事の発端らしい。これが問題視され、現在北朝鮮にいる日本人女性は彼女達だけということで電話の主と思われて、本当は朝鮮語がペラペラで諜報目的で来てるんじゃないかという疑いを掛けられたんだそうな。彼女達は英語が堪能だったので、余計に心証を悪くしたのではなかろうか?それはともかく、その部長は彼女達のパスポートを目の前でヒラヒラさせながら、正直に言わないとこれは返せないなあ〜などと高圧的な態度だったらしい。担当ガイドも部長サイドに付いており、何故か我々の添乗員のPさんが間に入り、自分達じゃないって言ってるんだから〜と取り成してくれたんだとか。ようやく解放されたものの、二人は怒り心頭で「アノ何某という部長の名前は忘れない!」「アノ部長がいる間は絶対に北朝鮮に来ない!」「この事を2ちゃんねるに書いてやる!」と息巻いていた。
自分がチェックした限りでは、2ちゃんねるへの書き込みは思い止まったみたいである。というかそれ以前に無事帰国出来たのであろうか?

*羊角島ホテルの展望レストランに勤務するお姉ちゃん。
エピソード11 食事&土産 先頭
毎日のように深刻な食料難が日本で報道されている北朝鮮だが、旅行客においてはそれは当てはまらない。見栄を張るという側面もあるのだろうが、メシは毎日毎食腹一杯食べさせてもらった。ちょっと罪悪感を覚えないでもなかったが。。。リクエストして初めて食べた犬肉は結構イケた。朝鮮名でタンコギといい、意味は甘い肉。ホンマかいな?と疑いつつ、背やアバラ等を食したが、これが文字通り甘くて柔らかいのである。ソウル五輪やW杯の際は外圧が凄かったそうだが、文句を言ってる奴は是非一度食べてみて欲しい!ってそういう問題じゃないのか・・・。今回、ホテルのレストランで食べた朝食以外は全て外食だったのだが、いかにも外国人専用レストランといった風情で、仮に平壌市民が利用しているところでもフロアや部屋を完全に隔離していたようである。外貨の流入はウェルカムでも、情報のソレはノーサンキューということか。他に食べたのはアヒル肉、平壌冷麺、宮廷料理のパンサンギ等。どれも美味しかった。唯一不味かったのが、帰りの高麗航空で昼食代わりに出たハンバーガー。帝国主義の象徴みたいなものを何で出すかなあ〜?頭の中ではクエスチョンマークが点滅していた。
あまり土産は買わないのだが、今回は焼酎、人参茶、お菓子、切手セット、バッチを購入した。こういった買い物もやはり外国人専用の店に連れて行かれた。面白いことに値段は全てユーロ表示で、これを日本円に換算してくれるので旅行中、円以外は全く使うことはなかった。旅行者向けなので全体的にそれ程安くはないのだが、焼酎は格安で一本80円。買ったはいいが、恐ろしくてまだ飲んでいない。。。お菓子は職場の人に配った。「旅行のお土産です」「どこに行ったんですか?」「北朝鮮です」「・・・」悪趣味かも知れないが、固まる人間のリアクションを見るのは中々に面白い。それはともかく、お菓子は見た目ポテトチップスを厚くしたような感じで美味そうなのだが、噛むと湿気が口の中に広がるという一品で評判は芳しくなかった。切手セットは各国の要人と金正日のツーショットもので、プーチンや江沢民、更には小泉首相のものもあり結構なシロモノ(カストロがあれば個人的には文句なしだったのだが)。バッチは北朝鮮の国旗をあしらったもの。本当は金日成や金正日のものが欲しかったのだが平壌では流石に入手困難らしい。ただ、地方や中国に行けばいともたやすく手に入るそうだ。

*金日成生家にある土産物屋に勤務するお姉ちゃん。
エピソード12 北朝鮮の今後 先頭
今回北朝鮮という極めて特殊な国を旅したワケだが、果たしてこの国の将来は一体どうなってしまうのか、以前にも増して興味が湧いてきている状態である。
朝鮮半島における長年のテーマ「祖国統一」という総論については、北朝鮮にとっても悲願であるとは思うのだが、じゃあ実際にどうやって?と各論を詰め出すとそれはそれは大変そうである。50年以上に渡る歴史の中であまりにも両国は異質なものになってしまった(反日という思想は除く)。文化の融合や人々の交流を図ることが本当に出来るのか?それに実際統一となった場合、韓国が北朝鮮を経済的に救済する形になると思われるが、東ドイツを吸収した西ドイツの窮状を目の当たりにして韓国は相当及び腰になっているという話である。北朝鮮に潰れてもらっては困るというのは韓国の本音だと思う。また、北朝鮮としても現在の体制を維持することが一番プライオリティが高いハズで、こう考えていくと「祖国統一」は結局有り得ないような気がしてならない。とりあえずは、現体制を維持することに必死になっている金正日の死後というものが一つの大きなポイントになるんでしょうね。
ところで、テリー伊藤著の「お笑い北朝鮮」の最後に面白い記述があるので拝借したいと思う。
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芸術家肌の金正日書記は言ってみれば放課後の砂場で遊んでいる小学二年生の子供といえる。まわりから笑われながらも一生懸命に自分で砂のお城を作っている、そこにもし上級生の五年生が「なんだよ、こんなもん」とお城を足蹴にして崩してしまったらどうするだろうか。泣きながら家に帰ってしまう子と歯向かってくる子の両者がいるはずだ。金正日書記はその歯向かってくる子供なのだ。ところが小学二年生はまだ背が低く、五年生の顔を殴ろうとしてもなかなか殴れない。そこで仕方なく脛でも蹴飛ばすだろう。小学五年生の顔をアメリカに例えれば、脛は韓国「と日本にあたる。どうしても顔を殴りたくても殴れないとなると、右脛の韓国か左脛の日本を蹴飛ばしたい。ところが同じ民族の韓国をそう簡単には足蹴にはできない。そこでエイッとばかりに左脛の日本を蹴飛ばす・・・。何もしなければ小学二年生は黙って一人で砂場遊びをしているだけだ。
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物凄く面白い例えだと思う。ちなみにテリー伊藤がこの本を出したのが1993年。その後状況は変化し、北朝鮮の経済はますます行き詰まり、90年代後半には多数(一説には200万人)の餓死者を出した。そして体制の矛盾が色んなところで噴き出しつつある。放っておけば一人で砂場遊びしてくれている状態ではなくなってしまっている。核兵器を外交カードとして本格的に使い始めたのは、裏を返せば相当国内情勢が厳しいことの表れなのであろう。現在の金正日は、砂の枯渇した砂場で拳銃を持って立ってる小学二年生といったところであろうか。アノ手コノ手を使って、彼はいつまで砂遊びを続けていくことが出来るのか。今後を興味深く見守りたいと思う。

*見学したモランボン第一中学でベースを演奏していたお姉ちゃん。
エピソード番外 書籍 先頭
いつも旅行前には旅行先の関連本を読むのだが、今回はいつにも増して読み漁った。その一部を紹介。。。
★国境/黒川博行(講談社)
関西のヤクザ組織をペテンにかけて10億円を騙し取った在日朝鮮人を追いかけて、喧嘩上等のヤクザと腐れ縁のコンサルタントがコンビを組んで北朝鮮に潜入し詐欺師を追跡するという小説。北朝鮮の描写が生生しくかなりリサーチを積んでいる印象。北朝鮮に興味を持つキッカケとなった一冊。ちなみに、後で知ったのだが直木賞候補作品だったそうだ。
★そうだったのか現代史 & 同 パート2/池上彰(集英社)
北朝鮮建国の経緯、朝鮮戦争、経済の困窮等を分かりやすく解説した本。この他にもパレスチナ問題、キューバ危機、ベルリンの壁崩壊、竹島問題といった現代のトピックスを取り上げ、問題の原因や経緯を丁寧に説明している優れもの。著者はNHKの「週刊こどもニュース」という番組でキャスターを務めているお方。
★北朝鮮五十年史/金学俊(朝日新聞社)
膨大な資料を元に1945〜95年までの北朝鮮の歴史を綴った史書。感情的になりがちな北朝鮮本が多い中、冷静に北を見つめているのが印象的。願わくば95年以降のものも加えた上で再版して欲しいものである。
★お笑い北朝鮮/テリー伊藤(コスモの本)
テリー伊藤というと突然ムキになって怒り出す、目のロンパったオシャレな人という印象しかなかったが、この本を読んで見方が変わった。偉い!何が偉いかというとこの本を出版したのが93年。つまりまだ金日成が存命中で、既に実権を握っていたとはいえ金正日の存在は薄かったこの時代に金正日に目をつけたというのが素晴らしい。出版に際しては30社以上から断られたそうだが、申し出に応じたコスモ社もついでに偉い!
★新・お笑い北朝鮮/テリー伊藤(ダイヤモンド社)
「お笑い北朝鮮評論家として10年ぶりに封印を解く時が来た」という副題がついております。テリー伊藤が夕刊フジに連載したものを一冊に纏めた代物。締め切りに追われて適当に書いたでしょ?と思われる内容のものもあるが、どこまでが本当でどこまでが冗談か分からない謎の北朝鮮情報満載で非常に楽しめます。
★朝鮮魅惑の旅(朝鮮新報社出版)
日本で唯一ともいえるガイドブック。内容的にもまずまずだが、1996年の初版以降一度も改訂されていないのが痛い。東京・白山にあるコリアブックセンターというところで入手可(通販もあるそうな)。
★北朝鮮のことがマンガで3時間でわかる本/津田太愚(明日香出版社)
100個のテーマを取り上げ、見開きで右が文章、左がマンガという形式で各テーマを解説しています。分かりやすいということをモットーにしていることもあるが、かなり決めつけで書いている部分もあって首を傾げる点も少なくなかった。テーマのジャンル分けなんかは結構上手いが、著者の専門がドイツ哲学っていうのは???
★北朝鮮の歩き方/与田タカオ(彩図社)
北朝鮮を個人旅行してきた人の旅行記。正直立ち読みで十分といった内容だが、擬似体験するなら手頃な本だと思われる。

*平壌市内の風景、中央にそびえるピラミッド型の建物が現在廃墟と化している柳京ホテル。
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