イエメン(YEMEN)
タイムスリップした感覚にとらわれた国イエメン。アラビアンナイトの世界という噂は耳にしていたが、実際イエメンを訪れてそれを実感した次第であります。何といっても世界遺産に認定されている首都サナアの旧市街地である。独特な造りで築数百年の建物群、アバヤ(黒衣装)を纏った女性達、ジャンビーア(短刀)を差した男性達、恐らく数百年前も同じ光景だったのだろうと容易に想像出来てしまうのである。車は邪魔だけどネ。あとは、人の良さが印象的であった。気さくに話しかけてきて、親切にしてくれて、かといって何も見返りを求めるワケでもなく、これまで20数カ国を訪れたが、飛び抜けで一番だったのではなかろうか。「幸福のアラビア」という異名も頷けるものがありました。アラビア語が片言でも話せればもっと楽しかっただろうにねえ。
*恐らく数百年前も今と変わらぬ光景だったのではなかろうか
*独特なデザインのイエメンの建築群
イエメンでは、渡航直前に処刑されたサダム・フセインが大人気であった。スーク(市場)やキオスクではフセインのポスターが売られ、車の窓なんかにソレが貼り付けられている様を幾度となく目撃した。イエメン政府は現在アメリカ寄りの政策を取っているそうだが、国民との間にはかなり温度差があるようである。一般的には、アメリカが大悪党の独裁者を退治したということになっているが、所変われば考え方も変わるということですか。まあ、ブッシュもある意味フセイン以上の大悪党だしね。。ということで、絶対あるだろうと思って両替商に行き、フセインの肖像の入った25イラクディナールを100イエメンリアル(約60円)で入手。03年10月からイラクでは新紙幣が発行されているそうだが、何故かピン札でありました。通貨価値はよく分からんが、今回の旅の戦利品ですな。いい記念になりました。
*フセイン一色となっていたキオスク
*戦利品の25イラクディナール
イエメンの男達は、オバQを彷彿とさせるアラブ服を着込み、頭にターバンを巻き、サンダルを履いて、ジャンビーアという短剣を腹の前に差し、何故かジャケットを羽織っているというのが基本的なファッションである。日本で言うなら、着物を着て、チョンマゲを結って、草履を履いて、日本刀を差し、何故かジャケットを羽織っているといったところでしょうか。このジャンビーア、街中の至るところで売られており、記念と思い、一本購入した。現地人に見せたところ、小さくて子供用だなと笑われてしまったが。帰りは、機内には持ち込めないので、郵送した。紛失したら仕方ないと思っていたが、無事に到着。で、これをどうするか?まあ、押入れ行きでしょうね。。
*伝統的舞踊?のジャンビーアダンス
*お土産のジャンビーア
イスラム教というのは偶像崇拝を禁止しており、偶像の一部と見做されている写真もイスラム圏では本来タブーだったりする。で、イエメン人は敬虔なイスラム教徒ばかりのハズなのだが、何故か写真が大好きであった。男は子供から老人まで関係なく噂のスーラ(アラビア語で写真のこと)攻撃を食らった。カメラを構えていると、撮ってくれ撮ってくれと人が集まってくる。ただ、アバヤ姿の女性は別。これを露骨に撮ろうとすると本人から睨まれるし、周りからも注意されてしまう。従って、盗撮とまではいかないまでも、風景を撮るふりをして実はピントを女性に合わせるといった苦労を強いられた。
*イエメンの子供達
*ずっとカメラを構えておいて、女性が前を横切るタイミングですかさずシャッターを・・
イエメンの独特の文化の一つにカートというものがある。カートというのはアカネ科という木の葉っぱで、これを噛むことによって出るエキスを飲むことで覚醒が得られるというものらしい。隣のサウジアラビアでは麻薬ということで禁固15年になるそうだが、この国では合法でれっきとした嗜好品。昼くらいになると朝摘みたてのカートを買い求め、午後になるとチマチマとやり始める。葉っぱを千切って口に入れて噛むワケだが、葉っぱのカスをホッペに溜めていくため、コブ取りじいさん、はたまたディジー・ガレスピー(ジャズトランペッター)のようになってしまうのが特徴である。ワタクシも3回ほど勧められてチャレンジしてみたが、う〜ん、ただの草でしたな。
*カートを噛みながらタバコも吸っていた欲張りなおじさん
首都サナア以外にも色々と見所があり、世界遺産に登録されているシバームや、標高3000mを超える街シャハラにも足を伸ばした。シバームは砂漠の摩天楼と呼ばれており、砂漠の中に突如現れる高層ビル群である。ビル群の中もブラブラ歩いてみたが、かなり老朽化が進んでおり、早い話がボロボロでありました。とはいえ、少し離れた丘の上から眺めるシバームは幻想的で実に美しい。シバームは離れて見るものです。そして、イエメンのお札のデザインにもなっている有名な石橋があるシャハラ。デコボコの山道をトラックの荷台で揺られまくりながら行きました。強大なオスマン・トルコに抵抗し独立を保った勇敢は部族の村らしいが、こんな不便な場所はオスマン・トルコも要らなかったんじゃないのか。
*砂漠の摩天楼、シバーム
*標高3000m以上の場所に架かる石橋
*オマケ(シャハラに行く途中のレストランにて)