COLUMN | ||
九州場所 | ||
2001.11.5 |
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11月になりハロウインも終わり、街はすでにクリスマスの仕度が始まった。この時期の博多の街にいると、甘い香りが漂い、ふとみるとお相撲さんがあちこちに浴衣にまげでうろついている。僕は鼻が利くので20mくらい離れていても感じることができる。もちろん何の役にも立ちはしない。 18の頃。僕らはいつものファミレスでどうでもいい話で時間を消費していた。 「相撲のバイトせん?」 と、突拍子もない言葉が飛び出した。相撲のバイト、である。そんなバイトって聞いたことがない。土俵の上で土払いでもするのだろうか。まさか、相撲をとるということはないだろう。 「する、する」 この年頃というのは考えるより先に決断する。これは、反射神経のようなものだ。 そんなノリで僕は、相撲のバイトをすることになった。大相撲九州場所は当時も福岡国際センターで行われていた。僕は相撲に全く興味がなくて、力士の名前も小錦と千代の富士くらいしか知らなかった。 朝、ふらりとスクーターで国際センターに行くと、殆ど説明のないままに客席の下の通路入り口に座る。何故かいつものファミレスと同じ顔ぶれが揃っている。このバイトすることがないのだ。たまに裏口から入ってくるお相撲さんを入れてやる。それでも、午前中は出番がない。お昼はふらりと外に食事に行く。 折りたたみの椅子に長時間座ることは結構苦痛である。友達といろいろ話をして時間を浪費していく。音楽のこと。異性のこと。遊びのこと。気が付くと寝ている。別段問題はない。 15時くらいをすぎると慌しくなってくる。それでもほとんどすることはない。裏口から入って人も高見山とか北勝海とか大乃国など名前は知らないが、ドアを開け目の前を通り過ぎてから、仲間と目を見合わせしばらくして、 「おおお」 と、声にならない唸りをあげる。やはり体の構造的にかなり大きい。 花道の警備というのをする。僕らは普段着に警備員の腕章をしていた。そう、僕は警備員なんだ。これが、仕事なんだとなんとなくわかった気がした。一般のお客さんが一目見たさ、触りたさになだれ込んでくるのを跳ね除け、土俵までの道に一般人の侵入ができなくする。みんな前や上に行きたがるので不思議に思っていた。取り組みが終わった力士が出てくるときに照明が眩しく、カメラが点灯している。映ってる。なるほど、そういうことか。とくにTVに映りたいという感情はなかったが、よく考えると相撲の場合全国放送だ。自然と警備しながら、手を広げカメラ目線になる。みんなそんな状態でなんだか笑えた。大相撲ダイジェストを観るとけっこう映ってる。 番付表や大入袋をもらったり、寿司をおごってもらったり、力士と食事に行ったり、わずか2週間の間に思い出はつきない。結局、そんな短時間におきることが面白くてほとんど皆勤してしまった。 大相撲九州場所。博多の街にもうすぐ冬がやってくる。 |
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