![]() ミルフルール・フラワーデザイン (ブーケ、花の教室) 11月号 物思いにふける季節でもありますが、私は、時折、 ある人のこと、そして10年ほど前の特定のシーンをを思い出します。 その方は2〜3回ほどののレッスンを重ね、生けるのも、少し自由に なり始めた頃のことです。 花材にプリンセスという白いスプレーバラがきれいに咲いてありました。 見る花全てが新鮮に映るのしょうが、きれいですねぇと何度も言いながら 特別にそのお花を手に取りじっと見入ってるのを私も固唾をのんで 見守っていました。 暫く見入っていた後、その大きく開いた花の部分に鋏をいれ、 器の真ん中にまっすぐ凛とさされました。 その後は、その花を中心に、他にあったピンクとかオレンジの花を回りに、迷いもなくどんどん生け始めました。 私の心の中では、えっありえない・・という困惑の気持ちが先走りましたが、気持ちよさそうに生けている姿を見ると どこで制していいものかもわからず、ただただ行方をうかがっていたのです。 白い花は色のついたアレンジの中で使うと、妙に目についてしまうので本数や角度で調整します。 アレンジ全体の調和を考えると、お花をある程度習ったことのある人なら、まずやることのない生け方であり、 全く素人の生け方でありました。(習い始めて2〜3回のことなので、当然のことではありますが。) ただ、その生け終えた花を見たとき、その方がその花を本当に大切に思っている気持ちが出来上がった花の姿から ひしひしと伝わり、いとおしい気持ちで胸が一杯になりました。 出来上がった花を見ていると、知らない星に降りてきた、王女様がたっている情景まで思い起こされるのです。 逆に、かなり習いこんでいて、さくさく慣れた手つきで決まった形をつくりこみ、非の打ち所がない 生け方をされる方がいるとしたら、きれいにできましたね、としかそれ以上にはいいようがないことと思います。 職業学校でしたら、優良生となるのかもしれませんが、ただ器用なだけの生け方では、こころはひとつも動きません. お花を生けること、その意味の原点に帰らせられた貴重な瞬間でした。 私の中で生まれた感情、感動は、言葉で説明するのも難しく、目に見えるものでもありませんが、その”ひと”を 感じる花は、私にとって花を生ける意味の、一番大切な芯の部分であると今でも確信しています。 ちなみにその方は回を重ねるごとにどんどん上達して、素敵な花で毎回楽しませてくれましたが、 海外でお仕事をされるということで、暫くして日本をでました。異国の地で、今頃どんな花を生けていることでしょう。 東京近郊も紅葉が本格的にはじまってまるので、この過ごしやすい季節、近くの公園にいってみましょう。 私のよく散歩に行く公園は、新宿御苑、神代植物園、それから立川にある昭和記念公園です。 色づく木々のもっている曲線、直線をたどっていくと、おもしろいデザインが浮かぶヒントになります。 形だけではありません。色のグラデーション使いも全てがお手本です。 お花を生けるというのは、その自然の中をどのように自分なりに切り取って表現するかということなのだと 思います。 |